- 1991年7月 東京ドーム「御生誕祭」 『信仰の勝利』 [2011/11/30]
- スリランカの首相を通じて仏教寺院に書棚を100架寄贈=HSニュース [2011/11/29]
- 総統閣下は幸福実現党に自信があるようです [2011/11/29]
- 1989年 総合本部移転先 紀尾井町ビルの完成直前風景 [2011/11/28]
- 「幸福の科学」からの手紙=浅見定雄 1994年 [2011/11/26]
- モンゴル全土放送のTV番組で幸福の科学を紹介=HSニュース [2011/11/25]
- 「幸福の科学」の幸福な経営(下)=文藝春秋:江川紹子 1991/08 [2011/11/25]
- 1989年末 幸福の科学のロゴマーク完成/総合本部体制図 [2011/11/24]
- 1989年 公益法人設立に向けて基金募集はじまる [2011/11/24]
- 1989年 紀尾井町ビルに移転した総合本部と幸福の科学出版 [2011/11/24]
(ΦωΦ) へ(のへの) http://0w.blog.jp/archives/67257482.html
1991年7月 東京ドーム「御生誕祭」 『信仰の勝利』
【仮設ページ】
「信仰の勝利」より一部抜粋 月刊誌1991年9月号
あなた方の前に立ちたるは、大川隆法であって、大川隆法ではない。
あなた方の前に立ち、永遠の真理を語るは、エル・カンターレである。

われは、この地球の最高の権限を握りたるものである。
われは、この地球の初めより終わりまで、すべての権限を有するものである。
なぜならば、われは、人間ではなく、法そのものであるからだ。
信ぜよ、信ぜよ、信ぜよ。われを信ぜよ。
永遠の仏陀を信ぜよ。永遠の仏陀、現れて、あなた方の前にて、
久遠の神理、説きたるを信ぜよ。
信じたならば、勝利は、あなた方の前に広がるしかないのである。
‥‥‥
よいか。われが地上を去るまでに、まだ四十年あまりの歳月が予定されている。
その間に、この日本だけではない、地球すべて、
五十数億の人びとにこの神理を伝えるのだ。永遠の神理を、永遠の法を、
永遠の仏陀より流れ出したる久遠の法を伝えるのだ。 (書籍より)
‥‥‥
わが語りたるこの言葉を、魂に黄金の文字として刻印せよ。刻み込むのだ。
1991年7月15日というこの日を、魂の中に刻印せよ。
この日を忘れてはならぬ。これが、全人類救済の旅立ちの一里塚であるからだ。

(なぜに、総裁はこのようなポーズでにらむのでしょうか)
こちらは国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)の総統

朝鮮労働党の総書記父子写真を掲げた大会

大川氏生誕祭の巨大肖像写真(一時期のみ幸福実現党総裁)、金色の全国支部旗


党旗を多用するナチスの圧巻なる光景(映画の再現シーン?)

-12/01 更新
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スリランカの首相を通じて仏教寺院に書棚を100架寄贈=HSニュース
幸福の科学総合ニュース より
2011/11/29
◆ 2011年11月 スリランカの首相を通じ、仏教寺院に100架の書棚を寄贈
幸福の科学グループは、2011年に発刊された『教育の法』の収益の一部を、スリランカの仏教寺院への書棚寄贈に充てさせていただきました。
11月4日、幸福の科学代表者数名はコロンボにある首相官邸を訪問。ラトナシリ・ウィクラマナヤカ首相を囲み、100架の書棚を贈呈するセレモニーが開催されました。
これらの書棚は、今後ラトナシリ・ウィクラマナヤカ首相を通じてスリランカにある仏教寺院へ引き渡される予定です。
幸福の科学は、2004年スマトラ沖地震で甚大な津波被害を受けた、スリランカ南西部のゴール市に対して、数年にわたる学校建設支援を行ってまいりました。その結果、2008年に小中高一貫のスガタナンダカレッジが開校し、今では、国家試験1位を獲得する生徒が輩出されるなど、学ぶ場を失ってしまった子供たちへの支援が花開いています
○続きはこちらへ >> http://www.happy-science.jp/news/foreign/216C.html
▲外国政府との接触をはかり、わざわざ「首相を通じて」というところがミソですね。
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1989年 総合本部移転先 紀尾井町ビルの完成直前風景
月刊誌1989年9月号より

お心のこもった献金 ありがとうございます。
全国のみなさまから、暖かいご支援の献金が続々と寄せられています。神理流布のさらなる発展に備えて、ありがたく受けさせていただいておりますことをご報告するとともに、誌上からあらためてお礼申し上げます。
●献金のお振り込みにつきましては、左記の口座へお振り込みくださいますようお願い申し上げます。なお、高額献金(50万円以上)につきましては、事前に左記の直通電話にてお問い台わせください。
●準備委員会専用電話03-332-××××
××××銀行 ××××支店
口座番号 普通181××××
名義人 幸福の科学代表 大川隆法

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「幸福の科学」からの手紙=浅見定雄 1994年
別のブログに一年前から載せていた記事ですが、こちらに移しておきます。これは書籍からのコピーですので、かなり迷っていたのですが、とりあえず置いておきます。非公開などに切り替える場合もあります。
『新宗教と日本人』 浅見定雄 晩聲社 1994年7月13日発行
第Ⅳ部 [p189-198]
「幸福の科学」からの手紙──「"幸福の科学"教義の滑稽」をめぐって
一九九一年、宗教法人「幸福の科学」の信者たちが講談社に「抗議活動」という名の言論妨害を加えた事件が世間の注目を浴びた。その直後、私は『月刊宝石』十二月号誌上で、湘南工科大学の佐伯真光教授と「"幸福の科学"教義の滑稽」という対談を行った。今回それを本書に収録するつもりでいたところ、「宗教法人幸福の科学広報局部長安永陽」氏から、一九九四年四月二七日付「東京高等裁判所内郵便局長」の「内容証明」で「面談依頼書」なるものが送られてきた。ほんとうは全文そのまま正確に引用したいのだが、なにしろ相手が相手である。万が一にも「著作権侵害」だの「プライバシー」だのと言われると面倒なので、引用は最小限にとどめ、その内容を紹介する。
書面の表題が「依頼書」だったため、私としてはきっと、「‥‥以上のようなわけで、ぜひ面談の時間をお取りいただきたく、よろしくお願い申し上げます」というような内容の文面だろうと思って読みはじめた。だが実際は、つぎのようなものだった。「いずれにしても、当会は早急に貴殿に面会し事情を伺いたいと考えます。そのため、過日『電話連絡を頂きたい』旨家人に伝言をお願いしましたが、‥‥三日以内に至急連絡して下さい。‥‥万が一連絡がない場合には法的措置を含めて断固とした措置を取らざるを得ませんことを予め了知して下さい。」(傍点は浅見)
人から来たお手紙に返事をするかどうかは、まったくこちらの自由である。三日以内に返事をくれと自分の方から一方的に要求し、それまでに返事がなければ「法的手段を含めて断固とした措置を取る」などというあたり、「幸福の科学」も私が長年悩まされてきた統一協会とそっくりである。これでは筆不精の人間は一日も生きていられない。そこで私は、何日か後つぎのような簡単な返事を出しておいた。
拝復。どなたのどのお手紙にご返事を書くかは私の基本的人権です。面談には及びません。すでに雑誌に公開したものですから、公開の言論には公開の言論でお答えください。近刊には大川氏の差別発言の証拠をもっとたくさん収録いたします(外国人から告訴されないようご注意なさった方がいいでしょう)。なお今後のご参考に、「宗教法人」統一協会への「通知書」の写しを同封しておきます。
「通知書」とはもちろん、本書Ⅰ部に収録した「(統一協会の)目にあまる嫌がらせへの通知書」のことである。
あの対談そのものはすでに三年前、本書より発行部数が桁外れに多い雑誌に発表済みのものである。その時は何の苦情も言わなかった「幸福の科学」が、いまごろ何を恐れているのか。雑誌と違い、単行本として長期間人びとの目にふれるのが嫌なのだろうか。
「面談依頼書」に話を戻すと、この書面は三項目からなっていて、はじめに引用した部分が第三項目にあたる。第一項目は、浅見と佐伯教授との対談は「幸福の科学及び大川隆法主宰に対する誤解曲解に基づく誹謗中傷に満ち満ちており‥‥幸福の科学等の名誉及び信用等を著しく棄損(ママ)する新たな『不法行為』となることは確実です」というものである。
だったら今こそ、浅見をやっつける絶好のチャンスではないか。あの対談をそのまま単行本にさせたうえで、私を「名誉棄損(ママ)その他「不法行為」の「確実」な事実で訴え、私の息の根をとめたらいいのに。
面談依頼書の第二項目は、講談社『フライデー』の「捏造記事」事件をきっかけに「当会について殆ど知識もない貴殿がこれに加担したもののようですが、万が一これが事実であるとするならば……貴殿の学者としての良心或いは良識を根本的に疑うものです」というものである。たしかに私は、「幸福の科学」の内部にいたことはない。そのため私は、去年マスコミが取り上げてくれたスティーブン・ハッサン著『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版)の「訳者あとがき」で、「幸福の科学」には破壊的マインド・コントロールの要素は「あまりないように思う」と書いたのだった。ところがその後読者から「先生の"幸福の科学"評価は甘すぎます」という注意がいくつか届いた。
だが今回は、「幸福の科学」の実態に関する知識が私にあるかないかは問題にならない。私はただ、大川隆法という青年が書いたと称する本の内容を問題にしただけだからである。そして本の内容に関する限り、私は引用したものは全部読んだのだ。
以上、いずれにせよ私としては、今回「幸福の科学」が撤回を要求してきたような無責任なことは、あの対談でひとことも言っていない。だから本当は、佐伯教授との全対談をここに再現していいのだが、なにぶんこれは私一人の名前で出す本である。対談相手であられる佐伯教授(最近やや健康を害しておられる)に万が一にもご負担をおかけしては申し訳ない。そこでここには、あの対談のとき『月刊宝石』の編集部の方々に「ここだけは必ず載せてくださいよ。でなければこの対談はボツですよ」と冗談交じりに言った部分を再現する事にする。大川隆法という青年の、想像を絶する差別発言の部分である。こんなものが霊界からのお告げであるはずがない。もちろん「科学」の名にも「宗教」の名にも値しない。
ただの再現ではつまらないので この際大川氏の差別発言の証拠をもっと増やすことにした。引用はすべて一九九一年の時点で「幸福の科学出版」や「土屋書店」が発行していたものによる。それ以後こっそり修正したものがあっても私は責任を負わない。(霊界からのお告げに修正があるはずもないだろうが……。)韓国・北朝鮮や中国をはじめ、ここに挙げられた国の人びとと小川知子女史を含む日本女性は、大川氏のこのような差別発言に対して「法的手段を含め断固とした措置」を取るべきである。そうすれば彼は必ず敗訴する。
もうひとつ言っておきたい。佐伯教授とのあの対談は、ことによると「幸福の科学」にとって致命的だったのかもしれない。今回の「面談依頼書」はいいことを気づかせてくれた。興味のある方は、今からでも図書館などであの対談をお読みください。きっとその価値があるのです。
では以下に大川隆法教祖の凄まじい差別発言を紹介するが、『月刊宝石』ではその少し前のところに、彼の言うことが「学問的にはナンセンスのきわみだ」という見出しがあって、私はこんな発言をしている。
たとえば『太陽の法』(土屋書店)の四四ページ以下。アール・エル・ランティという指導者に導かれて約六〇〇〇万人の人間が大船団に乗って地球にやってきた。アラビア語でちゃんと「神」を意味する「アラー」が、実はこの指導者の名から来ているのだという。また彼らの着陸の地となったエデンの園はエジプトにあったというのです。メソポタミアだというのが常識です。すべて常識です。
「太陽の法」はいちばんベーシックな本だと幸福の科学の人たちも言うんですが、学問的にはナンセンスのきわみですね。
以上の発言を少しだけ補足しておこう。イスラム教の神「アラー」(厳密には「アッラー」)とは、どんな学者の説でもアラビア語の「神」という言葉に定冠詞がついただけのものである。英語なら「ザ・ゴッド」にあたる。こんなことは日本語辞典にだって出ている(たとえば岩波『広辞苑』)。
これは同書四五ページの例だが、久しぶりでこの本を開いたついでに、もうひとつだけ例をあげておこう。つづく四六ページである。大川氏によれば「ミカエル」「ガブリエル」「ラファエル」等の「エル」は「神の光」という意味だそうだ。私の大学で私の「一般教育聖書概論」を聞いている学生なら、ヘブル語を知らなくてもこの「エル」が「神」という意味だということくらいは教わる。「神の光」なら「オール・エル」た゜。
ところがさらに滑稽な事に、大川氏は「ルシフェル」の「エル」という要素もそれと同じなのだと言う。残念ながら、ミカエルやガブリエルはヘブル語だが、ルシフェルはラテン語である。ラテン語で「光」という意味の「ルシ」(やや不正確だが、わかりやすくこうしておこう)とフェリー・ボート(運搬船)の「フェル」とを結合させたものだ。合わせて「光を運ぶ(もたらす)もの」、つまり「明けの明星のことである。「ルシ」の語源は「ルックス」(厳密には「ルークス」)である。日本語でも明るさの程度を昔は「何ルックス」と言ったではないか。すべて日本語辞典でも説明できるくらいの常識なのに、大川氏にはそれがわからない。この本の「まえがき」では、「全編に流れる格調の高いことばの響きに、読者諸氏はお気づきになられるはずですが」などと自画自賛しているが、こういう無知と非常識は「格調」以前の問題である。この非常識が、「単に地上に肉体をもっている払の小さな脳細胞から生み出されたものでは」なく「霊天上界、九次元世界にある払の潜在意識から啓示を受けつつ」書かれたものだというのだから、もう驚くほかない。
ではお侍ちかねの差別発言に入る。つけ足しはあるが、元の発言の削除はいっさいしていない。
幸福の科学はものすごい日本国粋主義だということは指摘しておかなければなりません。『ノストラダムス戦慄の啓示』(幸福の科学出版)という本はいちばんひどいんですが、アメリカは福祉などをするから精神病者が生まれるんだと書いている(七九~八一ページ。ソ連は呪われて死ぬ(一八ページ以下)。英国は日本に許しを乞わなければ滅びる(二七ページ)。中国の一〇億の人間は飢えた小魚みたいなものだ(三四ページ以下と一一九ページ)。中国人は生まれてくる意味なんてなかった。だから滅びる(三五ページ)。八億もの人間が死ぬが、どんな死に方をするか選ぶ自由さえない(一一四、一一八ページ)。日本は中国を奴隷にする(一五九ページ)。再び植民地にする(一七四ページ)。「朝鮮」は日本の端女(はしため)になる(一五九ページ)。もう一度日本に犯されて子どもを生むしかない(四二ページ)。最も愚かな国民である(四一ページ)。過去に日本から犯されつづけ、これからも犯されていくんだ(四四ページ以下)。日本批判をやめないと、ふたたびそういう目にあうしかない(一七一ページ)。〔追記 いま日本国羽田内閣の永野茂門法務大臣の南京大虐殺「でっちあげ」発言が中国・韓国をはじめアジア諸国の怒りを買っている。中国と韓国のみなさん、公称「八〇〇万人」の信者に影響力をもつという大川教祖にこんな発言を許しておいていいのでしょうか。〕
三九ページ、七三ページ、一四〇ページ、一七六ページ以下では、はっきり「大東亜共栄圈」(第二次大戦までの日本がアジア侵略を合理化したスローガン)以上の時代がくると言っています。ただしその日本も、大川隆法氏に帰依しなきゃダメなんです(一四八ページ以下と一六二ページ以下)。フィリピンも、ミャンマーも、ベトナムも、アフリカ諸国も、みんな滅びる(一一ニページ以下、一二五ページ以下)。南米も呪いから抜け出せない(一二七ページ)。ユダヤ人は決して幸福になれない(六四ページ)。そしてイスラエルという国は地上から姿を消す(一七九ページ)。
要するに、日本が大川氏に屈伏し、その日本が大東亜共栄圏を再来させる。許しを乞えば救われる国もあるが、そうでなければ諸外国は次々と滅びていくというのです。
また『道元禅師霊示集』(土屋書店)では、道元が現れて、心臓病は家庭不和が原因であり、薬では治らないと告げる(一七七ページ)。『日蓮聖人霊示集』(土屋書店)では、「大工さんを差別しているんじゃないのですよ」と言いながら、「深窓の令嬢」が一介の「大工の倅」と恋をしてもダメなんだと言う(一一一ページ~一一二ページ)。「バカにするわけじゃありませんが」と言って「本当は東北の田舎の女性で、ズーズー弁丸だしなのがね、東京に来て……都会人みたいな顔をするのがいる」と言う(一一三ページ)。〔私も、もう東北に三〇年、完全な東北人である。「だぴょん劇場」の伊那かっぺいさん、「吉里吉里国」の井上ひさしさん、これはもう、名誉毀損の裁判どころか、東北独立戦争ものですね。〕
あるいは、現在一〇〇人の人が死ねば「六十何人くらいは」地獄に堕ちる。そのうちの「四十人が女性」で、その理由たるや、女性が自立して男に従わず、キャリアーウーマンなんかになるからだと言う(一六四ページ以下)。
まだまだ挙げればきりがない。これが「幸福の科学」の教義である。なお私は、あの対談の最後の方で、大川隆法に限らず、統一協会教祖の文鮮明でもオウム真理教の麻原彰晃氏でも、大変な超能力や霊的洞察力を売り物にするわりには、それを世間一般のためにはぜんぜん使わず、一方自分自身のの生活では、お金から交通手段から電話からトイレットペーパーまで、すべてこの世の俗っぽい仕組みのお世話になっているという滑稽も指摘しておいた。
『新宗教と日本人』もくじ(一部)
Ⅰ まだまだいい足りない統一協会のはなし
Ⅱ 島田裕巳、この罪深き宗教学者よ
Ⅲ 怪しげな「宗教」に惑わされないために知っておきたいこと
Ⅳ 「幸福の科学」からの手紙──「"幸福の科学"教義の滑稽」をめぐって
Ⅴ 山本七平氏への告別文
〔山本七平氏は、イザヤ・ベンダサンという名前でユダヤ人になりすまし、『ユダヤ人と日本人』(角川文庫)というベストセラー本を書いた作家。浅見氏はこれに対して『にせユダヤ人と日本人』(朝日文庫)で徹底批判した〕
CM(0)
モンゴル全土放送のTV番組で幸福の科学を紹介=HSニュース
幸福の科学総合ニュース より
http://www.happy-science.jp/news/foreign/214C.html
2011/11/24
モンゴル全土放送のTV番組で幸福の科学が紹介されました!
◆モンゴル全土放送のトークショーに世界伝道講師が出演
2011年11月5日、モンゴルのテレビ局である「TV9」の生放送番組に世界伝道講師の今井氏が出演し、約15分間に渡るインタビューが放送されました。
本トークショーはモンゴル全土に放送され、インタビューを通して、大川隆法総裁のプロフィールや『太陽の法』の内容など、幸福の科学について紹介されました。
◆モンゴル初の伝道セミナーを開催
翌11月6日、ウランバートル国立コンサート・ホールの一室にて、モンゴル初となる伝道セミナーが開催されました。
「Secret Keys for Success and Happiness in Life」と題したセミナーには250名前後の方が参加され、
「講義に非常に感動しました。幸福の科学の会員となり、自分が疑問に思っていることへの答えを見つけたいと思います」
「この教えを一生の教えとして大切にしていきたいと思います」
「講義を聞いて、私にも幸福が訪れることを確信しました。セミナーを開催してくださった皆さんに感謝申し上げます」
などの感想が寄せられました。
尚、このセミナーはTV9のカメラクルーによって収録され、後日、同国の仏教チャンネルで放送される予定です。
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「幸福の科学」の幸福な経営(下)=文藝春秋:江川紹子 1991/08
教祖に会うなり「ウワッ」
会員の中には著名人の姿も見られる。例えば作家の景山民夫氏もその一人だ。
「僕の実家は神道でね、家に神棚が祭られていた。近くに住むおばあちゃんは仏教徒。何か悪いことをすると仏壇の前に連れてかれて『ご先祖様にあやまんなさい』と言われていた。それでもって僕自身はミッション系の幼稚園に入る。小さい頃からなんとなく神様の存在は信じていたし、いろんな宗教があるけど、根っこは一つなんじゃないかな、という思いはあった」
───「幸福の科学」と出会うきっかけは?
「二年ほど前、友人から『坂本龍馬の霊言』を贈られたんだけど、その時は数ページめくっただけで放り出しちゃった。ところが昨年八月、書いていたホラー小説のストーリー展開で難渋してね。おまけに僕に悪い霊がついていたらしく、変な現象が起こった。例えばワープロがいかれちゃうとか。そんな時に、友達から『太陽の法』を贈られた。読んでみたら、今度はスルスルと入ってきた。悪霊撃退法も出ていて、これは(小説の)参考になるな、と思った。実に見事なタイミングで出会ったんだよね」
───最初から信じられたのか?
「霊の世界は信じていたけど、最初のうちは『この霊言は本物なんだろうか』と疑問は持ちましたよ。でも、いろんな本を読めば読むほど、それぞれの霊の生前の人格がはっきり出ているのが分かる。僕は大本教の出口王仁三郎について書こうと思って、だいぶ彼の著書を読んでいたんだけど、大川先生の霊言には反論できない。出口王仁三郎の思考パターンで現代を見ている。文章のタッチも同じ。これは納得せざるをえませんよ。それに僕自身が創作して霊言集を書くとしたら、事前調査だけで一冊一年半はかかるだろうね。実際の執筆にニカ月。あの出版のペースではとても無理」
───大川氏にはゴーストライターが幾人もついているという噂もあるが‥‥
「それも考えました。でもゴーストの印税ってたった一%よ、僕も以前、さる有名人のゴーストを一度だけやったことがあるけど、入るのは微々たるお金。そのために、調査に膨大な時間と手間をかけることを考えると、とても割に合わない。そんなの引き受ける人はまずいないでしょうね」
景山さんは「幸福の科学」の教えに従って、これまでの半生をじっくり反省したという。そして今ではすっかり大川氏に心酔し、七月十五日に開かれる東京ドームでのイベントのナレーションの原稿を担当することになっている。
当日、司会役として景山氏の原稿を続む女優の小川知子さんは、大川氏の本を読んでいる途中、突然、感きわまって「ワーッ」と声を上げて泣き出したという。入会後、一度大川氏と対面する機会があった。
「お目にかかるなり『ウワッ』と嗚咽が込み上げてきて、それからはただ泣くばかり。『どうしてこうなっちゃうんだろう』って、私自身頭の隅で不思議がっているんですけど、止めようがないんです。『何でそういうのが信じられるの』って聞かれると一番困っちゃうんですよね。たとえば、宗教のことでなくても、『あなた何でこの本が面白いの』と言われるのと同じだと思うんです。私は何の抵抗もなく信じている。すっと入れる人と入れない人の違いは、根本的には魂の違いということになっちゃうんじゃないかしら」
現世利益はなし
信者には、一気に飛び込んだ人、熟慮の末、入会した人などさまざまなタイプがある。仏教徒やキリスト教徒もいれば、これまで全く宗教とは縁のなかった人もいる。だが、「幸福の科学」のどこに、多くの人を引きつける魅力があるのか。
真言宗の住職で、新興宗教に詳しい佐伯真光湘南工科大教授は次のように指摘する。
「既成宗教が勢いを失い、かつて万能と思われていた科学も信頼を失うなかで、疑似科学、UFOだとか超能力のようにオカルト的な方向に今の時代が傾斜している。『幸福の科学』が流行るのも、そういう時代の風潮を反映しているのではないか」
嶋薗進東大助教授は「生長の家、GLA、その他新宗教と言われるもののいろいろな特徴を引き継いでいて、まったく新しい宗教という感じはしません」と言う。
「ただ、従来は。”貧病争”といった現世の運命を呪術によって急激に好転させるというのが、新宗教の一つの魅力だったわけです。ところが、『幸福の科学』はそういった現世利益をあまり言わない。心の持ち方を変えると、心理的な落ちつきをえて、その結果として社会生活が好転するという、非神秘的な『心なおし』の教えです。現実的、即物的な問題にかかわるよりは、心理的満足を得るという傾向が強い。しかも心なおしの教えが知的に納得できる。反省とか愛が強調され、個々人の倫理的向上を教えるわけです。これは道徳的常識にも合致しているし、それが受け入れられやすい理由でもあるでしょうね」
確かにここには、ある種の合理主義や常識の存在も感じられる。たとえば「幸福の科学」は、新興宗教につきものの病気治しの呪術や加持祈祷を行わないのだ。
大川氏自身も、「個別に治せる病気もかなりあります」といいながらも、実際にはやっていないし、手かざしによって病気を治そうという宗教を厳しく批判する。
その点、昨年世間を騒がせたオウム真理教などと比べると、対照的ともいえよう。オウム真理教は、現代社会の価値観、それぞれの人間のこれまでの生き方を否定し、破壊するところからすべてが始まる。教団内部では富の私有を禁じ、在家者に対しても多額のお布施を徴収する。そうした発想が、社会と摩擦を起こす根底にあるのだが、『幸福の科学」はまったく逆である。
会員には「偉大なる常識人であれ」と説き、現代社会の制度、風習、常識をまず肯定する。会員に対しても、それぞれの人間の個性をまず認める。富を持つことも否定しない。大切なのは、今後自分がどう成長していくかであり、富をどう利用するかである、と説く。会員への義務や拘束も少なく、サークルかお勉強会といった雰囲気で、一般社会との摩擦は起こしにくい。
だが一方で、宗教の専門家から見ると、首を傾けたくなる点も多いようだ。大川氏が仏陀の生まれ変わりということもあって、ここの教えは一応は仏教がベースなのだが、佐伯教授は「基本書とされている『太陽の法』を読みましたが、仏教に関する記述は、単なる聞きかじりをアレンジしている感じがしますね」と言う。
「用語の読み方、使い方からしておかしい点がいくつもあります。例えば、観音は釈迦の時代にアポロキシティー・シュバーラーと呼ばれていた、などという記載がありますが、これは違います。アヴォローキテ・シュヴァラが正しい。いわゆる神通力の中に天耳、漏尽がありますが、これは『てんに』『ろじん』と読むのに、わざわざ『てんじ』『ろうじん』と間違ったルビを振ってあるし、意味も違っている。内容的にも、この人は仏教を理解していないという感想を持ちました」
司法試験に失敗
大川隆法氏の本名は中川隆という。一九五六年七月七日、父忠義、母君子の次男として、徳島県麻植郡川島町に生まれた。徳島市から吉野川沿いにJR徳島本線で四十分ほど奥に入った人口八千人余の典型的な田舎町である。
小、中学校時代の成績は優秀で、生徒会長も務めた。ただ担任教諭によれば「目をみはるような天才型ではなく、努力して勉強ができるという子だった」。
当時の同級生にも、彼の思い出ははっきり残っている。
「リーダーシップがあって、みんなを引っ張っていくところがありました。三年になると進学、就職と進路によってクラス編成をすることになっていた。彼が会長時代、生徒会でこれに反対し、一学期間クラス編成を引き延ばすなどの闘争を展開した。その間、学力が落ちないようにと、彼が中心となって休みの日に課外学習をやり、クラスメートに勉強を教えていましたよ」(中学時代の同級生)
中学卒業後、徳島県で一、二を争う進学校城南高校に進む。だが、ここでのクラスメートには、彼の印象はきわめて薄い。
「最近彼がメジャーになったので、高校時代の友達数人と彼について話すことがあったけど、みんな顔は分かっても、どんな奴だったかあまり覚えていなかった。真面目に、一生懸命勉強していたというイメージはあるけれどね。東大を目指していたことくらいしか記憶にないですね」(同級生)
二年になって剣道部に入部したが、
「実に弱かった。ただ、滑稽と思えるほど一生懸命でした。つば競り合いで倒されても、何回も立ち向かっていった」(別の同級生)
一浪後、東大文科一類に入学。だが、地方から都会へいきなり放り出された彼は、なかなか環境に馴染めなかったようだ。そんなことがあってか、彼は下宿に籠〔こも〕りがちとなり、本ばかり読んでいた。GLAを始めとする宗教や哲学関係の本も熱心に読んだらしい。そんな中で、女子大生に心を魅かれ、失恋するなど若者らしい逸話もある。
三年になって、法学部三類(行政コース)に進学し、篠原一教授のゼミに入るが、相変わらず、他の学生に印象は薄い。
「ただ大変な勉強家、読書家ではあった。ゼミではいつも教授の横に座り、発言も積極的だった」(ゼミの同窓生)
途中で専攻を一類(私法)に変更し、一年留年した後卒業。司法試験を受け、短答式試験には合格したが、二次の論文で失敗。国家上級公務員試験も不合格。助手として大学に残ろうとしたが、努力した割に成績が振るわず、これも適わなかった。先輩の紹介もあって、商社トーメンに就職する。
霊との接触は、この就職直前の一九八一年三月二十三日午後におこった。下宿にいた時、突然誰かが自分に何かを伝えたがっているような感覚に襲われ、カード用紙を目の前に引き寄せると、鉛筆を握った右手がひとりでに動き出したというのである。
「イイシラセ イイシラセ」
これが日蓮聖人の高弟日興上人から受けた最初の通信文であった。その後日蓮を始め、空海、イエス・キリスト、天照大神、高橋信次などからの通信を受けるようになる。しかもその内に自動書記ではなく、大川氏の声帯を通して霊が語ることができるようになった
のだという。
トーメンでは初め東京本社配属となり、財務本部輸出外国為替課に勤めた。その後ニューヨーク研修生として派遣され、ニューヨーク大学で国際金融諭を専攻。帰国後、財務部資全課に配属され、二十行ほどの銀行との交渉担当を命じられた。八四年に名古屋支社に配転され、二年ほどしてまた東京本社に戻った。
同社の先輩社員は、
「アメリカにいた時には、そんなおかしな印象はもちませんでした。名古屋に行ってから、彼が同僚や寮の仲間に向かってなにか意味不明のことを話しかけるという噂は耳にした」
という。
この名古屋勤務時代、最初の霊言集『日蓮の霊言』が出版された。その後、「退社独立せよ」との霊示を受け、三十歳になる直前の八六年七月に退社、十月に「幸福の科学」を設立する。事務所は東京都杉並区西荻窪の会員の自宅の六畳間を間借リした。職員は大川氏を含め、わずか四人の小所帯だった。それからわずか五年で、百万人の信者を獲得する堂々たる教祖に変貌したのである。
ちなみに八八年四月、彼は会員の一人だった木村恭子さんと結婚した。秋田県の田舎町に育ち、東京大文学部英文科を卒業した彼女は、今、「主宰補佐先生」と呼ばれている。
父親の果たした役割
大川氏の家族で、もう一人、教団の機構図内で特別な地位についている人物がいる。大川氏の父親、中川忠義氏だ。
忠義氏は善川三朗と名乗り、教団顧問を務める。最初に出した出版物『日蓮の霊言』は善川三朗著である。大川隆法のペンネームは、この時に父親がつけた。同書に忠義氏の経歴が記してある。
「大正十年に生まれ、青年師範卒。八歳の時、生家転居に際し、『汝は今生に大いなる責任をもって生まれたものである』との天来の霊告を受ける。昭和十八年、矢内原忠雄氏のキリスト教無教会派に所属。さらに戦後は谷口雅春氏の思想に感化される。昭和五十一年GLAの高橋信次氏の『正法』の指導を受けて神理探求の内容を深める。昭和五十六年、ある日突如として日蓮聖人より霊示を受け、以来ハイ・スピリットの霊指導を受けて他の同心と共に神法流布の使命感をもって精進を続けている」
宗教への関わりは深く、この父親が教団作りにも大きな影響を与えたことは十分推測できる。
この同書の経歴には、職歴が抜けているが、それを補ってみると忠義氏の半生は、なかなか興味深い。
青年学校、小学校の代用教員などをやった善川氏はその後、日本共産党徳島県委員会が発行していた「徳島新報」の編集者となる。関係者の記憶では、一九五一年ころのことだ。
「どういうつてだったかは覚えていませんが、文章が書けるのがおるぞ、というので仕事をしてもらった。奥さんが床屋をやって収入があったので、それほどお金のことを気にしなくても働いてもらえるし、文が書けて、編集もできるというので、悪く言えば便利屋的に使っていた。党員ではありません。中川只芳というペンネームで仕事をしていて、通称ロハさんと呼ばれていました。対外的に当たりがよく、ちゃんと仕事のできる人でした」
二年ほど「徳島新報」にいた後、この頃の仲間を頼って、徳島市内の編み物針工場に就職する。三年ほど働いてから独立し、自宅近くに工場を持つが、結局借金を抱えて倒産。その後、文才を評価されて、一九六四年、社団法人徳島県畜産会が機関紙を出すにあたり職員として採用された。中川一家は筆のたつ家系のようで、忠義氏の姉は、かつて「オール讀物新人賞」を受賞し直木賞候補にも二回ノミネートされたことがある作家、中川静子さんである。
「彼は非常に筆が達者な人。『幸福の科学』の本も、だから書けるんだよ」
とある知人は語る。
一九六四年に畜産会に入り、八四年六月、定年の六十三歳直前まで勤めている。仕事の面ではなかなかのアイデアマンで、人当たりもよく、当時の彼のことを悪く言う人物はいない。この頃、再び宗教に傾倒していたようで、当時を知る人は、こう語っている。
「中川さんは宗教的な話は詳しく、ずいぶん勉強しているようでした。宗教といっても、他力本願ではなく、自分でやるものを望んでいると言っていました、『その点、生長の家はいい』ということでした」
生長の家といえば、新興宗教の中でも政治への志向が強く、政治結社を結成して愛国主義的な運動を展開していた教団である。忠義氏の思想の振り子は、左へ右へと大きく揺れたようだ。宗教学者たちは、「幸福の科学」の教義には、生長の家とGLAが強い影響を与えていると指摘しているが、それは忠義氏の宗教遍歴とも一致している。
「共産党の組織拡大方法を、宗教にも取り入れているのではないか」
と指摘する徳島時代の仕事仲間もいる。
大川氏自身も、著書『平凡からの出発』の中で、父親から宗教的思想的影響を強く受けたと述べている。だが、今回のインタビューで大川氏は、父親の宗教的な経歴、影響について、意識してかどうか、否定的な発言をするのだ。
拡大につぐ拡大
父親の知恵か、大川氏の才能なのか、いずれにしても「幸福の科学」の教団経営はきわめて戦略的だということはいえるだろう。
たとえば、霊言集に収録された顔触れを取っても、GLA開祖の高橋信次の霊言は十五冊も出ているし、生長の家初代教祖谷口雅春のものも四冊出版されている。いずれも父親や大川氏が以前なんらかの形で接した宗教である。単純に書きやすかったという理由かもしれないか、勘ぐれば、てっとり早く会員を増やすために既成教団の教祖の名を借りたとも考えられなくもない。信者が、書店で大川氏の霊言集を見て思わず買ってしまったという例は少なくない。実際、両教団から「幸福の科学」に流れていった人も結構いるという。
当然のことながら、教祖を取られた側は面白くない。GLAの場合、高橋信次の霊言集が出るとすぐ、高橋の高弟が「幸福の科学」を訪れ、話し合いを申し入れた。たが「幸福の科学」側は大川氏との面会を拒否。「霊言が本当のものなら、我々の前で高橋先生を出してもらいたい」という手紙を内容証明郵便でニ回出したが、「今後(こうした手紙を)送りつけてきたら焼き捨てる」という手紙とともに送り返された。
あるGLA関係者は不快の念を露〔あら〕わにする。
「大川の言っていることはほとんど高橋先生の受け売りです。(それ以外も)オリジナルが一つもない。高橋先生を呼べるというのだってウソです。なぜなら、高橋先生は生前、『私が死んだら偽者が沢山現れるだろう。だから私がお前たちの前に現れる時には、ある通信手段をとる』と言っているんです。そんなことも知らないでウソを言っている。本当に高橋先生が出るというなら、私たちの前で出して欲しい。しかし、そういうと逃げ回る」
「幸福の科学」は、団体を作ってから初めの三年間は、徹底した基礎固めを行った。これといった布教活動はせず、本と口コミでやってきた者だけを入会させている。その間に教義を整え、将来の幹部、職員候補生にみっちり教育を施した。当時入会した人達が現在、会の運営や新入会員の教育に当たっている。初期の頃は資金繰りが相当苦しかったらしく、運営費用をまかなうために会員から借金もしている。
正会員になるには、大川氏の著書を十冊以上読み、願書にその感想を書いて提出するシステム。昇格試験を受けるにも、参考文献に指定された著書を読んでおかなければならない。また布教活動をするにも、講師の資格がない者は、教義について語ってはいけないことになっている。もっぱら本を読むことを勧めるわけで、熱心な会員は大量に同じ本を買い込んでは、知人に配ることになる。都内のある書店の担当者の話では、一人が同じ本を百冊以上買っていった例もあるという。このような仕組みが本の売り上げを延ばすのに大いに役立ったといえそうだ。
本の売れ行きも伸び、一応基礎ができた昨年、「サンライズ90」と称して本格的な伝道を始める。
総本部が紀尾井町ビルに引っ越したのは一昨年暮のことだが、その時点での会員はまだ一万三千三百人。しかも正会員は八千百人で、残りは機関誌を購読するだけの誌友会員だった。いくら書籍が売れているとはいえ、これだけの規模で、保証金五億円、家賃が月額約二千五百万円の同ビルに入るのはかなりの冒険であったろう。
いったいその金はどこからどうやって捻出されたものなのか。常識では考えにくい大胆な経営ぶりは、大川氏の自宅が金融業者「アイチ」の所有だったことと相俟(あいま)って、同社との資金的つながりがあるのではないかと、噂の種にもなった。
宗教法人の認証を取るには自前の土地と建物に主たる事務所を置かなくてはならない。昨年九月、大川氏名義で東京都杉並区天沼の土地と建物(現在は「幸福の科学」名義)を取得した。ここには住友銀行を始めとする金融機関によって合わせて四億円の抵当権がついている。この資金が土地取得に使われたのか、あるいは教団の運営に使われたのかは定かでない。今のご時世、宗教法人といえども銀行融資を受けるのは当たり前なのかもしれないが、この辺りには、トーメン在職時代、財務を担当した大川氏の経験も、フルに活かされているようだ。
大川氏の話には、しばしば「経営」という言葉が出てくる。宗教の教えを説いていると同時に、宗教団体を経営しているという意識があるらしい。話を聞いているうちに、宗教の教祖ではなく、ベンチャービジネスかなにかの若き経営者と会っているような錯覚に陥った。インタビューの中で、大川氏自身が、冗談めかしてこんな発言をしたのが印象に残っている。
「住友銀行は杜撰〔ずさん〕な融資をしていると叩かれているけど、あれほど担保がうるさいところはないよ。メチャクチャうるさいよ。本当に困るぐらい厳しいよ。あれが杜撰だったら、ほかの銀行はメチャメチャ杜撰だよ」
「ユートピア」の中身は?
こうして「幸福の科学」は拡大につぐ拡大をとげた、しかしそれでも物足りないのか、さらに今年からの三年間は「ミラクル93」と位置付けられ、盛んに会員たちにハッパをかけている。
「神兵、光の戦士を本年中に百万人達成する。引き続き三百万人から五百万人、さらに今世紀末までの九年間に、四千万人の光の戦士の大兵団を編成することであります。これなくしては日本のユートピア建設、ひいては世界の恒久平和、神の国の実現を期すことはできないのであります」(機関誌九一年四月号、善川氏「われらの戦い」より)
熱心な信者の中には、勝手に他人を誌友会員に入会させ、後でトラブルになるケースが続出している。ちなみに現在会員が百万人いるといっても正会員はまだ一三%である。五、六月には、一人百人 入会させようという「獅子奮迅菩薩決死隊」なる組織を結成。見事目標を達成した者には、ご褒美として「特製主宰先生御本尊」、つまり大川氏の写真が渡され、東京ドームのイベントでは優待席が与えられるそうだが、決死隊とは穏やかでない。
さらにいま、教団は「ミラクル献金三千億円構想」と称し、会員からのお布施を大々的に募ろうとしている。うち二千億円で都内に三千坪以上の土地を買い、七十七階建ての総本山ビルを建てる。残りで地方本支部、研修施設を建設しようという計画だ。あまりに性急で、野心的な感じは否めない。
「幸福の科学」の究極の目標は、地上に「恒久ユートピア」を建設することという。大川氏の説くところのユートピアの原理とは、「神理」を理解し、実践する真に幸せな個人個人を増やし、それを家庭へ、社会へ広げ、ひいては国家全体を覆おうというもの。ただ、布教活動以外、具体的にどのようにして建設するつもりなのか、いまだ判然としない。
ただ、言葉の端々に政治や経済に対する強い関心は窺〔うかが〕われる。大川氏本人か政界に打って出る気はなく、創価学会のように自前の政党を作る予定もないというが、将来的には政策提言をするなり、議員を養成していきたいと語っており、行く行くは政界や財界にも、なんらかの影響力を与えていくつもりはあるようだ。だが、その政治思想や方向性はほとんど明らかにされていない。
今年の二月二十八日、大川氏は自衛隊・防衛庁OBらで組織している社団法人安全保障懇話会にゲストとして呼ばれ、安全保障問題についての講演をおこなっている、
「北朝鮮は、年末ぐらいから軍隊として南下してくるということがはっきり感じられます」
「ソクラテスの時代でも、軍人っていうのは国の誇りだったんで、やっぱりそういう思想でね、闘っていくことが非常に大事であるというふうに思います」
話の内容は中東情勢、日米関係、朝鮮半島の動向、マスコミの在り方まで多岐にわたったが、その内容はかなりキナ臭いものだった。
底に潜む選民意識
もちろん、宗教者が政治に対して提言をすることは、決して悪いことではない。だが、大川氏や教団幹部のこれまでの発言を見ていくと、ある種の危惧を感じざるをえないのだ。
今年一月に横浜アリーナで行われた講演会で、大川氏は次のようにブチ上げた。
「神は、この救世の主役を十一億人の人口のある中国にではなく、二億五千万の人口のあるアメリカにではなく、また同じく二億以上の民の住んでいるソ連でもなく、八億の民が住んでいるインドでもなく、この日本を選ばれたのです。あなたがたは予言の民でもあるのです。その誇り高き自覚を持たねばならないのです」
先日、新聞各紙にデカデカと「日本の時代がくる」との広告が載った。
「『これから、ありとあらゆる不幸が世界を襲う』と、ノストラダムスは言う。しかし、この裏には、希望の予言が隠されている。日本は繁栄をつづけ、聞に沈む世界を救うというのだ。それを知ったとき、希望の光が見えてくる。日本に新しい勇気が湧いてくる」
大川氏の教えの中に、「自助努力」というのがある。自分の不幸を環境や他人の責任に転嫁してはならないというのだが、彼の主張はそれに止まらず、「貧しい者は、その人が貧しさを愛するからだ」「病気の人は、その人が病気を愛するからだ」と言い切る。
こんな発言もある。
「すくすくと他の木を追い抜いて、高く伸びていく木と、その陰になって小さな灌木〔かんぼく〕となっていく木。さあ、どちらが正義で、どちらが悪なのでしょうか。結果的には、すくすくと遠慮なく伸びていった木があったことが、世の中には役に立つということになるわけです。その木が伸びるのを邪魔する小さな茂みや灌木たちが、切り取られ、刈り取られていくというのが、往々にして見受けられる行為であると言ってもよいでしょう。それは、より大いなる善を目指して、そのようになっているということなのではないかと思います」(機関誌四月号、大川氏「富の本質」より)
「今地上では、最高の価値があるとされている民主主義なるものも、神の側から見たならば、大いなる疑念を持たねばならない部分があります。霊格の低い人たちが今数多く地上に生まれていますから、頭数でやりますと地上は次第しだいに地獄的な思想が蔓延するようになってまいります」(三月二十四日、大川氏講演会)
また大川氏は、女性についてこう語る。
「神様はやはり補助者としての役割を女性に期待しておられたようです。そして男性には、神様が創られた世界の歴史のなかで主人公となる使命をお与えになったようです。女性に相応〔ふさわ〕しい生きかたは、結婚をし、子供を育てていくことです」(『女性たちの使命』)
富を肯定し、強いことを善とし、国際社会での日本の指導的な役割を説く。これは日本人の、特に保守層の心をくすぐるところがある。だがそこからは、ナショナリズム、選民意識、弱肉強食の強者の論理、男尊女卑といった匂いがただよってくるような気がするのである。
小さなサークルであれば、いちいち目くじらを立てる必要はないだろう。だが、ここはすでに百万人を超える会員を擁(よう)し、来年には一千万人の巨大な組織をめざそうとしているのである。止まるところを知らないメジャー志向からは、彼らが名実ともに力を持ちたいという野心が見てとれる。
巨大化した宗教団体が、カネや政治を巡ってさまざまな事件や疑惑を起こした例は、過去にいくつもある。「幸福の科学」は動き出したばかりで評価を下すことはできないが、その体質には、同じような問題を生む危険性が潜〔ひそ〕んでいるように思えてならない。
-了-[p316 -329]
同誌関連記事⇒ 大川隆法インタビュー 「宗教界は企業努力が足りない」
▲獏論註:現在の教団は、ここに書かれている事とは全く異なる宗教になっています。祈願・祈祷・高額法話・高額セミナー、献本活動などで、従順・熱心な人が疲弊してやめていくケースがよくあるそうです。会員数にはもともと水増しがあり、現在も減少傾向と見られています。
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1989年末 幸福の科学のロゴマーク完成/総合本部体制図
月刊「幸福の科学」1990年2月号 より 幸福の科学のロゴ・マーク完成!

もうすでに、みなさまご覧になっていることと思いますが、このたび幸福の科学のロゴ・マークが完成いたしました。
マークは、みなさまお気づきのとおり、大川隆法主宰先生のイニシャルを図案化したものです。一見して感じられると思いますが、Rの部分は人のように見えますし、また、Oの部分は、その人のまわりに輝くオーラのように見えます。このデザインは、レオナルド・ダ・ビンチ先生の霊指導により選ばれたものです。おそらくこのマークは、今後2000年間は残っていくものと思われます。
細かい運用基準は、現在('89年12月22日)作成中ですが、基本的には、本部作成物、または一部の支部作成物に限らせていただきたいと思いますので、個人での使用はご遠慮願いますよう、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
幸福の科学総合本部事務局

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1989年 公益法人設立に向けて基金募集はじまる
月刊誌1989年11月号 より
会員各位 御中
日ごとに寒さが加わるこのごろですが、会員のみなさまにおかれましては、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
総合本部では’90年以降の本格的神理伝道計画に向けて、本年末の紀尾井町ビル移転を契機に、現在「人格なき社団」である幸福の科学を、公益法人化するべく、事務局、総務局、活動推進局合同による公益法人設立準備委員会を編成し、検討を重ねてまいりました。
法人化のメリットといたしましては、
①独立した取引主体となりうること
②主務官庁(文部省)の管轄下にあるという意味で社会的信用が得られること
③税務上、種々の優遇措置を受けられること
などが挙げられます。
今後、政界、財界へのアプローチをはじめ、サンライズ’90の名のもとに全国伝道を展開していくうえで、法人化は不可欠のものと言えます。
つきましては、今回特別に会員有志の方々のご協力を仰ぐべく、公益法人設立基金を募集いたします。なお、会員のみなさまがたには、別途、基金の募集要綱と申し込み書(はがき)をご送付いたしますので、本趣意を何卒お酌み取りのうえ、よろしくご協力くださいますようお願い申し上げます。
幸福の科学総合本部
公益法人設立準備委員会
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